「人生の転機となった一言」

 「お前、学校へ来い! 卒業させてやるから」 
私が高校3年の1月4日、担任の先生から電話がありました。
 「お前がヒネくれて学校に行きたくない気持ちは良く分かる。
でもお前の亡くなったお母さんの唯一の生きがいは、
お前が大学を卒業して、立派な社会人になること。
それだけを夢見て病気と闘ってきたんだ。
高校3年にもなって、そんなことが分からいなのか!」

 私の母は私が中学3年の時に胃がんで入院し、その後入退院を繰り返し、
高3の2学期始めに38歳で亡くなりました。
その日から私は学校にも行かず、家に引きこもってしまいました。
何で僕の人生はこうも不幸ばかりなんだとヤケになりました。

 両親は、私が3歳の時に離婚し、父が家を出て行き、
母が必死で私を育ててくれました。
今と違って、離婚した子持ちの女性が働く場所はほとんどありませんでした。
苦労して会社の事務員として働き、月曜から土曜日までは
朝早くから夜遅くまで仕事に行き、唯一日曜日だけですが
母と過ごす時間がありました。

 小学校に入ると、あっという間に私が片親だということが知れ渡り、
度々いじめに遇っていたので、学校では常に目立たないようにしていました。
母はとても厳しい人で、ちょっと成績が落ちるとものすごい剣幕で怒られました。
今思うと、母は何とか自分の息子を大学にやりたいと必死の思いだったことが
理解できます。(当時の大学進学率は約10%でした。)

 離婚した父が小学校6年の時に出戻ってきました。
父はサラリーマンでしたが、毎晩夜中まで飲み歩き、きちんと給料を母に渡さないので
夫婦喧嘩が絶えませんでした。
父が戻ってきたのに母の苦労は続き、その僅か2年後に癌を発症してしまった訳です。
そんな訳で私は、苦労だけして亡くなった母への想いからヤケになっていました。
 でも高校3年の時の担任の先生の一言で、私は目覚めました。

 その時、担任の先生は
 「今はお前も父親がいるのだから、父親に頼んで、大学に行かせてもらえ! 
大学の授業料ぐらいは出してくれるだろう」と言われました。
恐る恐る父親に大学へ行きたいことを言うと、父は
 「現役で国立大学へ行け。それなら授業料出してやる」と言いました。
既に1月で、勉強していない自分に国立大は無理でしたが、
暗記ものが少ない私立の理工学部に入学でき、
父も渋々授業料を出してくれました。

 生活費は満足にもらえず、バイトをしながらの学生生活で、
食べることには結構苦労しました。
就職の時、大手化学会社を受験しましたが、当時、日本の上場企業は
両親が揃っている学生しか採用せず、内定前に興信所を使って、調査をしていました。
 ※ 現在では法律違反です
そんな訳でどこにも受からず、結果として大学で石油化学研究室にいた関係で
教授の推薦で外資の石油会社に入ることができました。

 この会社に入ったことが、私の人生を大きく上向きにしてくれました。
子供時代はあんなに辛い人生だったのに、大学進学から社会人となって
一気に上り坂人生となりました。
もちろん自分だけの力ではなく、色々な人に助けてもらえたから今の自分があるので
本当に幸運だなーとしみじみ感じています。
それも全て高校3年の1月4日の担任の先生の一言が始まりで、
辛いときに“母の想い”を心に感じることがでるようになったことで、
 今でも本当に先生の一言に感謝しています。