「トン、トン、トン」

 今から35年ほど前、私が30代前半の頃、
自己啓発で、ある話し方教室に通っていました。
話し方のカリキュラムに「心に残ること」という話題で
即席スピーチをする時間がありました。

 その時、真っ先に60才近い男性が手を挙げて、
自分の体験を話しました。
その方はいかにもエネルギー溢れるバリバリの仕事人間のように見えました。
その話は私にとっていつまでも心に残る話となりました。

 「私がある日曜日の朝、二階で朝寝坊していました。
なんとなく目を覚ましてボンヤリしていたら、階下の台所からまな板と包丁の音が
 “トン、トン、トン” と聞こえてきました。
 「あ~、女房が味噌汁作ってんだなあ」と思い、何気なく起きて台所に行きました。
やはりそうでした。
 そして、何気なく、後ろ姿の妻の肩をポンと叩き、「ご苦労さん」と声をかけました。
すると、一瞬の間を置いて妻は私の方を振り返り、
 「バカ、バカ、バカ! 20年間、あなたからこんな言葉かけてもらわなかったわ!」 
と言って、私の胸を両手で叩きながら顔を埋めて泣き出してしまったんです。
私は戸惑いながら、「ごめん、ごめん」と言ってなんとなく嬉しい気持ちになりました」

 その時、私は「いい話だなあ」と感じてしまいました。
その感覚は私がシニアになった今でも新鮮なものとして残っています。
現在、マインドフルネスという教えが拡がっています。

 一般的にマインドフルネスは「今、この瞬間に自分の体験に注意を向けて、
現実をあるがままに受け入れること」(ウィキペディア、他)と捉えられています。
私は「先ず感覚共有」だと考えています。
 「美しい、楽しい、嬉しい、等々」の「今のこの瞬間の感覚」を味わっている時に、
いつの間にか「苦しい、悔しい、等々」の感覚からフッと離れている自分を感じます。
先の「トン、トン、トン」の感覚をご主人が受けとめたことが、
「二人のあるがままの存在を受け止め合うこと」に繋がったのでしょう。
シニアになった私も妻と一緒に同様の体験をしたいと試みています。