「ソフトボールの監督を偲ぶ」

 私の所属しているソフトボールチームの創設者で監督だった方が、
昨年65歳で肺がんのため亡くなりました。
彼は小学生の時からワルで、中学生になるとたびたび警察のお世話になり、
大学入学1か月後に傷害事件を起こし退学になりました。

 そんな彼が大きく変わったのは、結婚し、息子が小学校に入学してからでした。
地元の小学校でPTAのソフトボールチームが出来て、
彼はソフトボールをしてみたいと入部しました。

 ボールの投げ方もバットの持ち方もわからず、
練習中に誰もキャッチボールの相手すらしてくれないので、ただ見ているだけでした。
入部して数か月後にメンバーの一人が、彼があまりにかわいそうと思って、
ボールの投げ方、バットの振り方を教えてあげました。
 でも彼の息子が卒業するまで、とうとう一度も試合に出させてもらえませんでした。

 子供が卒業したため、他のメンバーでOBになった人たちに声を掛け、
全員のユニホームから野球道具まで全て自分で購入し、野球ができないのに、
自分のチームを創り、自ら監督になりました。
それほどソフトボールをしたかったのです。

 なぜ彼はそこまでしてソフトボールをしたかったのか? 
私はある日、彼に聞いてみました。
彼は「ただただソフトボールが好きだから」と答えました。
元々ワル仲間で、“しょっちゅう”喧嘩をし、相手校の生徒を叩きのめすことに快感を覚えていたわけです。
子供のころから人一倍“仲間意識”が強かたのです。
その仲間意識が、結婚したことで、また子供を持ち、家族という良い仲間を得たことで、ソフトボールチームでの仲間意識を芽生えさせ、皆が力を合わせて頑張る喜びを知ったのです。
それまでは、親に反抗し、他人を傷つけることで自分の快感だけを味わっていたのです。
そんなワルの経験があったからこそ、今ではチームの結束力をどうするかと
常に考えることが自然に身についていたのです。

 何しろ、メーンバーへの気配りが一番あり、チームメンバーが困っている時には
“いち早く”その人に声賭けをし、励まします。
こんなことがありました。
 ある日の試合中、「おい、顔が強張っているよ。もっと楽しもうよ!」。
監督がピッチャーマウンドへ行き、エースピッチャーに話しかけました。
8対0で勝っていたのに最終回に一気に同点にされ、一打逆転の場面です。
残念ながら、その試合は逆転負けをしてしまいました。

 自分はメンバーが足りなかった時など、よほどのことがないと
自分から試合に出ることはしません。
でも彼が試合中にしょっちゅう一人ひとりにその場面に応じた声賭けをすることで、
常にチームの皆に気配りをしています。

 私は非力なので主に2番バッターで、よくバントのサインがでます。
バントを失敗した時、彼は「今のは良いバントだったけれど、相手の守備がうますぎたんだよ!」と一言声をかけてくれたことで、落ち込んだ気持ちが救われたことがありました。
試合後、いつも近くのイタリアンレストランで遅い昼食を兼ねて反省会をしていますが、負けた日は、必ず「今日の戦犯は○○さんと△△さん」と必ず厳しいことを
お互いに言い合いします。
 彼は決してメンバーの失敗に文句も言わず、批判も決してしません。

 多くのメンバーは若いとき軟式野球をしていたり、
中の一人は大学卒業時にプロ野球からドラフト2位指名を受けた人(この人が実質のゲーム監督)もいますが、セミプロの彼の意見、感想には誰もが素直に聞く耳を持ちます。
でも野球を知らない、出来ないオーナー監督の言葉に、何故か皆“納得”するんですね。それは彼の学生時代のワル仲間のリーダーとして、仲間は絶対に守るという強い意識が染みついているのだと思います。
だから一言一言に重みが感じられるのです。

 彼は一滴もお酒が飲めませんが、彼がいないとお酒の席も何故か盛り上がりません。
人生の横道に反れたことから学んだことを、年とともに生かしていくことで
人を引き付ける魅力を備えられたのだと感じました。
一昨年はソフトボール連盟の2部チームまで昇格したのに、昨年は3部降格、
今年は4部まで降格し、しかもブービーとなってしまいました。

 先日もうチームを解散しようかとの意見が出ましたが、彼の意志を引き継ぎ
来年も楽しくソフトボールを続けることで皆の意見が纏まりました。