たかぎかつひろ JEC理事
2015.6.15

朝食を摂っているときに、テレビのアナウンサーが
「今日は、傘は折りたたみがよいでしょう」
「朝は少し冷えますので、一枚多くお召しになって、暑くなったらお脱ぎになられるとよいでしょう」とアナウンスしていました。
私は、何も考えずに折りたたみ傘を鞄に入れて出かけました。
駅に行く途中で、電車の遅延情報を確認し、自分が行く相手先までの乗り換えや所用時間などを携帯電話情報で確認しました。
現代は、このようにあらゆる物質はもとより、情報も洪水のごとくあふれて
今までの日本の歴史にはなかった豊かな物質文明が現出されていると思います。
 
私たちは、この地球には無限の可能性があり、これからも今までと同じような営みが続けられるだろうと、
漠然と思っているのではないでしょうか?
しかしながら、地球環境の将来や資源などについては、多くの情報から警鐘が鳴らされている事実に直面し、
これからどうしていったらよいか?
私たちが、この豊かな物質文明で失ってしまったものや、失う可能性のあるものについて少しく考えてみる必要があると思います。
 
私たちの祖先は、道具を作って火を燃やし、狩猟や農耕をおこなって生活するなかで、道具は石器、土器、青銅器、鉄器、合成樹脂と進化し、木を燃やすことでエネルギーを知り、木炭、石炭、石油、天然ガス、水、原子力へと多様化してきました。
こうしたことに伴って技術の向上を図り、効率を飛躍的に向上してきたのが農業です。
こうして人類は物質的豊かさをベースに人口を増やし続けてきました。
貧困や格差という課題は未解決のままですが、多くの人々が豊かな生活をするようになってきたという意味では、
豊かな物質文明のおかげと言えるのではないでしょうか。
 
こうした物質文明の豊かさに浸れる時は、もうちょっとしかないのではと心配されている方々も多いと思います。
物質文明の負の側面として、資源の枯渇や、地球の温暖化、環境の悪化が、こうした文明の持続に影を落とし、
次第に現在のライフスタイルに対して疑問視する人々も多くなっております。
私も環境関連の仕事も少しやってきたこともあり、物質文明の終鳶が近いのではと、心配している一人です。
 
私は特に、豊かすぎる物質文明に長い間身をゆだねることによって、
本来人間として備わっている感性というか、五感に代表される人間が生きていくうえで備わっているべき色んな感性の感度が鈍くなり、本人が気付かない間に欠落して、正しい判断を間違えるなど、
 
例えば、高層マンションで育った子供たちの中には、「高所平気症」のため、転落事故が発生している。
各種情報通信機器の過度な利用による「中毒症」や「発達障害」等々。
本来の人間が、地球という「自然」のなかで持っているべき、または育つ過程で備わっていく感性や知識判断力が、
専門知識や社会経済状況の情報氾濫のなかで機能せず、
決断に必要な「自然」という大切な情報を総合的に検討せずに、「自然」を無視して行動した結果、
未曾有の大災害を被ることとなりました。
東日本大震災による津波によって発生した「福島第一原子力発電所原子炉事故」がまさにそれです。
誠に残念としか表現できません。
 これからの人間社会における各種の課題解決に、このような事案が生まれないようにするには、
「自然」への感性をもっと鋭く発揮し得る見識を如何にして磨き、学ぶか真剣に考える必要がありましょう。
 
地質学者である、関陽太郎先生の「福島第一原子力発電所と海鵜と私」と題するリポートを読ませていただく機会を得ました。
私たちは、自然の生き物たちの生きる知恵を学ぶと同時に、
「自然」を無視して行動する人間の傲慢さを謙虚に反省すべきであると感じました。
関先生は、茨城県から福島県に至る海岸での地質調査の折に「海鵜の巣」に出会われました。
「海鵜の巣」は、海面上24~25メートルほどの高い崖に穴を掘って、横一列に並んでいたそうです。
何故、「海鵜の巣」が崖のその高さに有ったのかを考えると、海鵜の子育て上の安全確保と、
避寒用の巣、即ち寒い冬の波しぶきを避ける、ということではないか。
もしかすると過去の経験則で、海鵜のDNAに記憶されていたのではないかとも思います。
海鵜のように、自然のルールを大切に考えての、原発建設の建設位置・高さが海鵜の巣の高さ付近にあったらと考えると、
「東北電力女川原子力発電所」が殆んど無傷で残ったことの大切さを改めて感じます。
「東北電力」が「女川」に原子力発電所の建設申請をした時(昭和45年)設計津波高さは3メートルでした。
その直後、貞観津波(869年)の地質学的な津波痕跡調査によって、仙台平野の4キロメートルまでの浸水津波の記録が確認されると、その発電所建設チームは、3メートルを9.1メートルに修正、更に14.8メートルに発電所敷地高さを決定したのです。
これが「平成23年3月11日の大津波を受けても、「女川原子力発電所」が殆んど被害を受けないで済むことが出来た理由です。
 
平成19年~20年(2007~2008)産業総合研究所の岡村幸信氏を中心とする地質研究グループが、
「仙台平野を中心とする東北日本太平洋岸地域の津波堆積物の分布と厚さの詳しい検討に基づき、
西暦869年の貞観地震に際し、宮城・福島で巨大な津波が発生していたこと」を明らかにして、
関係の学会で詳細に報告し、解説しております。
岡村氏は、平成21年6月には、経済産業省の総合エネルギー調査会の会合で、福島第一原子力発電所の課題として、
この貞観津波について詳しく説明し、東京電力の不準備を指摘し、強く警告しました。
東京電力は、10メートル超の津波発生の可能性を知りながら、原発事故発生まで何一つ対策を立てていなかったのです。
 
平成23年3月11日、福島第一原子力発電所の事故が起きた時に、東京電力は、
「5.7メートルという想定していた最大津波波高を大きく超える「想定外の大災害」という言い方を何度となくしていたことを思うと、
建設当初より仕事に関わっていた人々が、建設立地の確定について何等の疑問も感じることなく、
しかも過去の津波被害経験を知りながら活かせずに、それぞれの立場でのみ行動してきたことを考えると、
肌が泡立つほどの恐ろしさを感ぜざるをえません。
「自然」は「地球」そのものであり、常に謙虚に正面から向かって、人為的人工的になりすぎた、
すべての事柄に「感性」をもって対応し、地球という星の中で生かされている人間という自覚と見識をもって
行動していかなければならないと思う、今日この頃です。